「乳癌治療の歴史」編

乳癌治療の歴史 1 《第40回》 (2月16日付)
 乳癌の手術は古代エジプトに始まりました。紀元前3000年今からざっと5000年前の有名なエジプトの医師 Imhotep(イムフォテプ)の記録が、パピルスに残されています。8人の乳腺疾患の記載があり、その内1例は治らないとして手を付けられなかったのですが、もう一例は切開して排膿し(曩胞形成と膿貯留あり、おそらく悪性)、のこりの腫瘍(残存腫瘍)に対して焼却あるいは腐敗させたとの記載が有ります。
 それ以後の歴史を見ますと、麻酔のない時代かつ、防腐のなされなかった時代は当然治療は姑息的であったろうと思います。その治療をみますと、全く治療がなされなかったか、軟膏による治療や、防腐剤、焼灼あるいは乳房切除が行われました。
 切断には色々な道具があったようです。そして切断を行った症例の癌は小さなしこりの患者だった様です。出血には圧迫や、腐蝕法などが行われましたが、16世紀になって、Ambrose Pare(アンブロウズ パレ)と言う外科医が糸による結紮を始めました。
 乳癌の手術手技を確立したのは、フランスの外科医 Jean Louis Petit (ジャン ルイ ペティ=1674〜1750)で、彼の死後24年後に業績が出版されました。癌に周囲組織を大きく付けて切り取る、一塊にして取る、腋窩リンパ節(腺)を取るなど、現代の外科の考え方と完全に一致しています。1800年代に入ってから多くの著明な外科医がよりよい乳癌の手術を目指して競い合いました。

乳癌治療の歴史 2 《第41回》 (2月23日付)
 今日の乳癌手術の術式を確立したのは Halsted(ハルステッド)です。今世紀1970年代まで、彼の確立した術式は世界中で認められ、施行されてきました。
  Halsted は1882年に、最初の根治的乳房切断術を行いました。これまでの手術と違って、乳癌(腫瘤)から大きく離して正常皮膚乳腺組織を大きく癌の側に付けて切除し、大胸筋を切除して、腋窩のリンパ節を徹底して摘除しています。
 Meyer (メイヤー)は1894年、6例の根治的乳房切断術を施行して報告しています。彼は腋窩のリンパ節の摘除は不完全だったものの、大胸筋のみでなく小胸筋も切除しました。
 Meyer の発表以来、 Halsted は小胸筋の切除も加えて、乳癌根治術法を確立しました。
 Halsted の根治術がいかに優れたものであったか、表に示します。
 Halsted の症例は50例ですが、いずれも進行癌であったにも関わらず、局所再発が6%とそれまでの60〜70%に比べ極めて良好な結果を示しました。局所再発とは、乳房を切除した残りの皮膚、あるいは腋窩(患側腋窩)に、癌が再び出てくることです。
 ハルステッドの局所再発6%は、現在の局所再発率と比べても、やや高いものの進行癌と言うことを考慮すると、全く遜色のないものです。
 彼の最後の論文では、232例の手術の3年生存率は42.3%とあります。術式は現在と変わりません(残念ながら、この100年あまり Halsted の手術を超える外科手術は開発されていません)から、いかに進行癌が多かったかがわかります。

〔局所再発率〕

外科医名 手術期間(論文に記載ある報告年) 症例数 局所再発率(%) 参考事項
バーグマン 1882〜1887 114 51〜60  
ビルロート 1867〜1876 170 82 1881年胃癌の手術に世界で初めて成功
ツエルニー 1877〜1886 102 62  
フィッシャー 1871〜1878 147 75  
グッセンバウワー 1878〜1886 151 64  
ケーニッヒ 1875〜1885 152 58〜62  
クスター 1871〜1885 228 59.6  
ルッケ 1881〜1890 110 66  
フオン フオルクマン 1874〜1878 131 60  
ハルステッド 1889〜1894 50 6  

D.W.Kinne による

乳癌治療の歴史 3 《第42回》 (3月2日付)
 日本に於ける乳癌の外科治療は、1804年(文化一)華岡青洲(1760〜1835)によって世界に先駆けること37年前に、世界で初の全身麻酔下で行われました(1842年アメリカのロングがエーテル全身麻酔を行った。1831年スーベローの造ったクロロホルムで英国シンプソンが婦人科手術をした)。
 華岡青洲が曼陀羅華(朝鮮朝顔)からの抽出物を主成分とする通仙散(経口的全身麻酔剤)を造る過程で動物実験を繰り返し、最終的に人体実験として、自身の母於継や妻加恵にこれを飲ませ、ついにこれを完成させた話は、有吉佐和子氏の小説、「華岡青洲の妻」の中で、夫である青洲へのあるいは息子青洲への、死をも覚悟した献身(人体実験)の過程に於ける、嫁舅(しゅうと)の葛藤のすさまじさとして克明に描かれており、あまりにも有名です。
〔華岡青洲〕 江戸後期の外科医。紀伊の人。名は震。字(あざな)は伯行。古医方・オランダ外科を学び、開業。チョウセンアサガオを主剤とする麻酔剤を開発し、日本初の乳癌摘出手術に成功した。(「大辞泉」より)

乳癌治療の歴史 4 《第43回》 (3月16日付)
 実際に、青洲が曼陀羅華(朝鮮朝顔)からの抽出物を主成分とする、この通仙散(麻沸散)を乳癌患者に飲ませて全身麻酔下に乳癌の手術を行った第1号は文化元年(1804)10月13日です。第1号の患者の名前は藍屋利兵衛の母・勘(60歳)で華岡青洲の記載による「乳癌姓名録」に書かれています(冨永より)。
 嫁舅の葛藤は別として、動物実験から人体実験を経て麻酔薬を完成し、それをもって実際に乳癌手術を行った華岡青洲の医療手順は、今日の医学医療と比較しても(手術そのもののレベルは別として)、全く遜色なく驚くべきものとされています。彼が実際どの程度の乳癌の手術を行ったのか、どんな手術を行ったのか興味の持たれる所です。
 「乳癌姓名録」には156名の乳癌患者名が記載されていると言われます。また、手術に当たっては、今日で言う手術承諾書も取っていた様です。術式に関しては「乳癌治験録」には克明に手術記録図と記述が記載されており(冨永による、有吉佐和子氏による)、今で言う部分切除(癌と周りの正常組織を少しつけた切除)であったと想像されます。
 さらに、腋窩のリンパ節転移と予後との関連性を示唆する記載もあり(現在でも腋窩リンパ節転移数は予後と相関することが明らかとなっている)、青洲のすごさがうかがわれます。